自分の力で何かを成し遂げたい、時間や場所に縛られずに働きたい。そんな思いから「起業」という道を選ぶ人が増えています。しかし、いざ起業するとなると、何から手をつければ良いのか、どんな準備が必要なのか、不安を感じる方も多いでしょう。
実は、起業の第一歩として最も身近で現実的な選択肢が「個人事業主」になることです。会社を設立する(法人化する)ことに比べて手続きが格段にシンプルで、誰でもすぐにスタートを切ることができます。この記事では、個人事業主として起業するために必要な準備から、開業後の運営、そして税金の手続きに至るまで、その全ステップを分かりやすく、順を追って徹底的に解説します。あなたの「起業したい」という思いを、具体的な行動に移すための地図としてお役立てください。
ステップ1 まず決めること 起業の土台作り
起業は、情熱だけで走り出せるものではありません。走り出す前に、自分がどこに向かって、どのように走るのかを明確にする「土台作り」が不可欠です。この最初のステップを丁寧に行うことが、事業を長く続けるための最も重要な鍵となります。事業の核となる計画を立て、自分の活動を表す名前を考え、そしてなぜ個人事業主という形態を選ぶのかをしっかり理解しましょう。
事業計画を立てる
事業計画と聞くと、銀行から融資を受けるための難しい書類を想像するかもしれません。しかし、個人事業主にとっての事業計画は、まず自分自身のための「航海図」です。自分が何をしたいのか、それをどうやって実現するのかを具体的に言葉にすることで、頭の中のアイデアが整理されます。
例えば、どんな商品やサービスを、誰に届けたいのか。どれくらいの価格で提供し、どれくらいの売上を目指すのか。そのためにはどんな活動が必要で、どのくらいのお金(経費)がかかるのか。これらを書き出してみるのです。完璧な計画である必要はありません。まずは大まかな見通しを立てることで、進むべき方向がはっきりと見えてきます。事業が始まった後も、この計画に立ち返ることで、進捗を確認したり、軌道修正したりする際の確かな指針となります。
屋号を決める
屋号とは、個人事業主が使用する「事業上の名前」のことです。法律で必ず決めなければならないものではありませんが、屋号を持つことには多くの利点があります。例えば、お客様に対して、個人名よりも事業内容が伝わりやすい屋号を名乗ることで、信頼感や専門性を印象づけることができます。
また、銀行で事業用の口座を開設する際にも、屋号付きの口座名(例「ヤマダタロウ デザイン事務所」)にできる場合が多く、プライベートのお金と事業のお金を明確に分けるのに役立ちます。屋号は、後で説明する開業届にも記入欄があります。自分の事業への思いを込めた、愛着の湧く名前を考えてみましょう。
個人事業主か法人か メリット・デメリットを比較
起業には、個人事業主としてスタートする方法と、株式会社などの「法人」を設立する方法があります。どちらが良いかは、事業の規模や目的によって異なります。個人事業主の最大のメリットは、その手軽さです。税務署に書類を一枚出すだけで始められ、廃業も比較的簡単です。運営の自由度も高く、利益はすべて自分のものになります。
一方、デメリットとしては、社会的な信用度が法人に比べて低く見られがちな点や、万が一事業で大きな負債を抱えた場合、全責任を個人で負わなければならない点が挙げられます。また、売上が非常に大きくなると、法人よりも税金の負担が重くなる傾向があります。多くの人は、まずは手軽な個人事業主としてスタートし、事業が軌道に乗って売上が安定的に増えてきた段階で、法人化を検討するという道を選んでいます。
ステップ2 いよいよ開業!必要な手続きを済ませる
事業の計画と名前が決まったら、次はいよいよ社会的な手続きを踏み、公に「事業を開始した」ことを宣言する段階に進みます。特に重要なのが、税金に関する手続きです。難しそうに聞こえるかもしれませんが、やるべきことは非常にシンプルです。このステップをきちんと踏むことで、後々の税金面で大きなメリットを受けられるようになります。
開業届を税務署に提出する
個人事業主として正式にスタートするために必要な書類が「個人事業の開業・廃業等届出書」、通称「開業届」です。これは、あなたが事業で得た所得に対して、きちんと税金を納めますよ、という意思を国(税務署)に示すためのものです。
提出先は、あなたの住所地を管轄する税務署です。事業所の場所ではありませんので注意しましょう。開業届の用紙は税務署の窓口でもらえますし、国税庁のウェブサイトからダウンロードすることもできます。基本的には、事業を開始した日から1ヶ月以内に提出することとされていますが、もし遅れてしまっても特に罰則はありません。しかし、この開業届を出すことで、後述する「青色申告」の申請ができたり、屋号での銀行口座が作れたりと、事業主としての活動が格段にしやすくなります。控えは必ず保管しておきましょう。
青色申告承認申請書も一緒に
開業届を出す際に、絶対に忘れてはならないのが「所得税の青色申告承認申請書」です。これは、毎年の税金計算(確定申告)を、特別な方法(青色申告)で行うことを許可してもらうための申請書です。
なぜこれが必要かというと、青色申告を選ぶだけで、税金が大幅に安くなる特典(控除)を受けられるからです。この申請書も税務署に提出します。提出期限は、開業から2ヶ月以内、または青色申告をしたい年の3月15日までと決まっています。期限を過ぎてしまうと、その年は特典が受けられなくなってしまうため、開業届と同時に提出するのが最も確実で、手間もかかりません。
ステップ3 会社員から独立する際の重要手続き
もし、あなたが会社員として働きながら準備を進め、いよいよ退職して独立するという場合、税金以外にもう一つ、非常に重要な手続きがあります。それは、健康保険と年金の切り替えです。会社員時代は、これらはすべて会社が手続きしてくれていましたが、個人事業主になると、すべて自分で管理し、納めなければなりません。生活の基盤となる大切なことですので、漏れなく行いましょう。
国民健康保険への切り替え
会社を退職すると、それまで使っていた健康保険証は使えなくなります。退職日の翌日からは、自分で別の健康保険に加入しなければなりません。多くの人が選ぶのが、お住まいの市区町村が運営する「国民健康保険」です。退職後14日以内に、役所の窓口で手続きを行う必要があります。
もう一つの選択肢として、退職前の会社の健康保険を最長2年間「任意継続」する方法もあります。どちらの保険料が安くなるかは、あなたの退職前の給与や、お住まいの地域の国民健康保険料によって異なります。事前に両方の保険料を試算し、比較検討することをお勧めします。いずれにせよ、病気や怪我に備え、保険証がない期間を作らないことが何よりも大切です。
国民年金への加入
健康保険と同様に、年金も切り替えが必要です。会社員が加入している「厚生年金」から、個人事業主や学生などが加入する「国民年金」へと切り替わります。これも退職後14日以内に、役所の年金窓口で手続きを行います。
国民年金に切り替えると、将来受け取れる年金額は、厚生年金に比べると一般的に少なくなります。そのため、老後の生活に不安を感じる場合は、国民年金に上乗せできる「付加年金」や、個人型確定拠出年金(iDeCo)などを活用し、自分で将来の備えを厚くしておくことを検討すると良いでしょう。
ステップ4 事業運営とお金の管理
開業の手続きがすべて完了し、いよいよ事業がスタートしたら、日々の運営が始まります。個人事業主として最も意識しなければならないのが「お金の管理」です。会社員時代はお給料をもらうだけでしたが、これからは自分で売上を立て、そこから必要な支払い(経費)を行い、残ったお金で生活していくことになります。日々の正確な記録が、将来の節税と健全な経営につながります。
日々の経費管理
個人事業主が納める税金は、年間の「売上」から、事業のために使った「経費」を差し引いた「所得(儲け)」に対してかかります。つまり、経費を漏れなく正確に記録することが、そのまま節税に直結するのです。
経費として認められるのは、例えば、仕入れ代金、交通費、通信費、文房具代、打ち合わせの飲食代、仕事場の家賃など、その事業で売上を上げるために直接必要だった費用です。何が経費になり、何がならないのかを正しく理解することが重要です。そして、支払いを証明する領収書やレシートは、法律で一定期間(青色申告なら7年間)の保存が義務付けられています。会計ソフトなどを活用しながら、日頃からこまめに整理・記録する習慣をつけましょう。
事業主貸と事業主借とは
個人事業主は、会社のようにお金が厳密に法人格と分離されていません。そのため、事業用に使っている銀行口座から、自分の生活費を引き出すこともあるでしょう。逆に、プライベートの財布から、事業の備品代を立て替えることもあるはずです。
こうした「事業用のお金」と「プライベートのお金」の行き来を記録するために使うのが、「事業主貸(じぎょうぬしかし)」と「事業主借(じぎょうぬしかり)」という個人事業主特有の会計ルールです。事業用のお金をプライベートに使ったら「事業主貸」、プライベートのお金を事業に使ったら「事業主借」として記録します。これらを正確につけることで、プライベートのお金と事業のお金を混同せず、1年間の正しい儲けを計算することができます。
ステップ5 1年の総決算 確定申告
事業を開始して1年が経つと、個人事業主にとって最も重要なイベントがやってきます。それが「確定申告」です。これは、1年間の事業の成績(儲け)を計算し、それに基づいて納めるべき税額を国に報告し、納税するまでの一連の手続きを指します。最初は難しく感じるかもしれませんが、日々の経理をしっかり行っていれば、決して恐れることはありません。
確定申告とは何か
確定申告は、毎年1月1日から12月31日までの1年間の「所得(売上から経費を引いた儲け)」と、それにかかる「所得税」を自分で計算し、原則として翌年の2月16日から3月15日までの間に、税務署に申告書を提出する手続きです。会社員の場合は会社が年末調整として代行してくれますが、個人事業主はすべて自分で行う必要があります。
この申告によって、所得税の額が確定するだけでなく、翌年の住民税や国民健康保険料の金額も決まるため、非常に重要な手続きです。最近では、会計ソフトを使えば計算の多くを自動化でき、申告もインターネット(e-Tax)を通じて自宅から行えるようになり、格段に便利になっています。
青色申告の大きなメリット
確定申告には「白色申告」と「青色申告」の2種類があります。ステップ2で「青色申告承認申請書」を提出していれば、この青色申告を選ぶことができます。青色申告の最大のメリットは、「青色申告特別控除」が受けられることです。
これは、一定の条件(複式簿記での記帳やe-Taxでの申告)を満たせば、計算上の儲け(所得)から最大で65万円を差し引くことができるという強力な節税制度です。所得が65万円少なくなれば、それにかかる所得税や住民税も大幅に安くなります。その他にも、赤字が出た場合に最大3年間繰り越して将来の黒字と相殺できる特典や、家族に支払った給与を経費にできる(一定の条件あり)など、白色申告にはない多くの利点があります。開業届と同時に青色申告を申請する理由は、まさにこの大きなメリットを享受するためなのです。
まとめ
個人事業主として起業するには、確かにやるべきことがあります。しかし、一つひとつのステップを分解してみれば、決して難しいものではないことがお分かりいただけたかと思います。
すべては、自分がどんな事業をしたいのかという「事業計画」から始まります。そして、その決意を「開業届」という形で公にし、会社員とは異なる「国民健康保険」や「国民年金」の手続きを済ませます。事業が始まったら、日々の「経費」を管理し、プライベートと事業のお金を「事業主貸・借」で区別します。最後に、1年間の集大成として「確定申告」を行い、税金を納めます。その際、「青色申告」を選べば大きな節税メリットも得られます。
起業は、手続きの知識だけで成功するものではありませんが、知識がないことで余計な不安を抱えたり、損をしたりする必要はありません。この記事で解説した全ステップは、あなたの夢を現実に変えるための、最初の一歩に過ぎません。大切なのは、準備を恐れず、まずは行動を起こしてみることです。あなたの挑戦を心から応援しています。


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